それでも黒板の文字は見えたから何とかなったが、受験勉強やらテスト勉強やらに追われる高校生になると、黒板も友達の顔も「ボヤ〜」と霞み、メガネを作らざるを得なかった。
昭和50年代末だったろうか。最初のメガネは3万円ぐらいだった気がする。眼科に勤める母に連れられて、「メガネ作りの達人」がいるという店に行った。
このころ、信じられていた噂に「メガネは常時掛けていないと度が進む」というものがあった。つまり、掛けたり外したりを繰り返すことによって、視力が悪化すると信じている人がいたのだ。子ども心にも「ホントかよ」との思いがあり、眼科医に質問すると「必要なときに掛ければいい」との答えが返ってきた。これで気が軽くなった。見た目を気にして、授業以外では掛けなかったけれど、本当に視力が落ちていくのかを検証してみたい。
大学生の頃は、人生で一番視力が悪かった。4月には1号館で健康診断を受けるのだが、まともに視力検査を受けたら時間がかかって面倒なことになる。順番が来る前に両目を剥いて、0.1の大きな輪っかが開いている方向をおぼえるとスムーズだ。3つあるうちの左は、輪の左に切れ目がある。逆に右は、輪の右が切れている。中央は、下に切れ目があったので、視力測定のときに片眼を隠しても「左」「下」「右」と答えられる。
眼科で測ったときは、0.07とか0.04だったので、ズルをするのは簡単だった。学生時代に作ったメガネは30代まで使ったが、壊れて廃棄処分となり、この世に残っていない。黒枠の2万円程度のものだったと記憶している。
海外旅行にはまった20代から40代を支えたメガネは、サングラスであった。

ケースにはアルファベットで「ソニア・リキエル」と書いてあるので、3〜4万円したかもしれない。フレームが大きいことから丸顔をほっそり見せる効果があり、非常に気に入っていた。だが、今持っているメガネの中では、一番度が強いことようだ。
この頃から、目の調子がいいときはコンタクトレンズを装着するようになった。自転車に乗るとき、風の強いときはメガネに頼らざるを得ないため、色のないレンズも必要だった。サングラスよりも少し度が弱く、軽い素材のものを選ぶ。

これも度が強めで、15m先までよく見えるから、運転免許の更新には活躍する。普段はまったく運転しないけれど。
40代になると老眼が始まり、手元が見えなくなってくる。そこで、コンタクトの度数を下げたのだが、徐々にドライアイが深刻化し、ある日、強い痛みに見舞われレンズを外さざるを得なくなった。
「ひー、本が読めるメガネがないよ。急いで作らないと!」
あわててメガネ屋に行き、老眼対応のものを調達した。あまりに急いでいたので、フレームは適当によさげなものをチョイスした。

よく見たら、これもソニア・リキエルではないか。
ひょっとして、無意識に選んでしまうのかもしれない。
加齢とともに、老眼は容赦なく進んでいく。作って間もないソニア・リキエルでも本が読みづらくなり、40代半ばにまた新しいメガネを作った。

こちらは「ラインアート」というフレームで、5万円近くもした代物だ。気に入って50代半ばまでの10年間掛け続けたけれど、さらに老眼が進み、パソコンの画面が見づらくなった。
「高いメガネを作っても、すぐに合わなくなるから、これからは安いヤツでいいや〜」
ようやく悟りを開いた気分になる。
最近作ったメガネは、PC画面に特化したものだ。両目の視力差があるため、PC画面を見ていると目が疲れて仕方ない。両目が同じ程度になるよう矯正し、50%のブルーライトカットレンズを使った。

何とお値段は9900円!
こんなにお得に作れるのだと、初めて知った。
左のレンズは度が入っていない。右の視力が悪いので、こちらだけ下から2番目となる低い度数のレンズを入れてもらったら、入力作業がスイスイ進む。快適快適! しかし、遠くは見えない。3m先をクリアーに見るためには、メガネを外した方がいいという矛盾。何か変だ……。
10代のときには予測できなかったけれど、50代になった今は、若い頃より視力がアップしている。
つまり、メガネは常時掛けていなくても問題ないという医師の説明は正しかったのだ。まっすぐな道では、なるべく遠くを見るようにするなど、陰で涙ぐましい努力もしてきた成果もあるかもしれないけれど、柔軟に考えてよいことが証明された。
これらのメガネはリビングの引き出しに収納されている。それぞれ異なる役割を持つメガネだらけだ。
また度が合わなくなり、新しいものを作ったら「メガネ大臣」になってしまうかな。。
※ 他にも、こんなブログやってます。ぜひぜひ、ご覧になってください♪
「これはしたり〜笹木砂希〜」(エッセイ)
「うつろひ 〜笹木砂希〜」(日記)